最高裁判所第二小法廷 平成4年(あ)742号 決定 1995年3月07日
国籍
朝鮮(全羅南道宝城郡芦洞面新泉里)
住居
滋賀県愛知郡愛知川町大字愛知川七九六番地の七
砂利採取販売業、遊技業及び飲食業
安千一
一九三一年一一月六日生
右の者に対する所得税法違反、法人税法違反被告事件について、平成四年五月二六日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人家藤信正ほか二名の上告趣意は、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 根岸重治 裁判官 中嶋敏次郎 裁判官 大西勝也 裁判官 河合伸一)
平成四年(あ)第七四二号
上告趣意書補充書
所得税法違反等 被告人 安千一
秋村組に対する架空売上について
一、検察官の安田組に対する売上額の認定の証拠は検甲一一号及至一五号によっている。
この証拠は安田組の売上台帳、請求台帳を証拠としている。(弁護人も上告趣意書で、この二つの帳簿を添付した。)
そして検甲一五号証では右売上の中から若築等の架空売上を除外し、その架空の証拠として売上台帳中に蛍光ペンで記載した分を請求台帳に上乗せして請求していて、その上乗せ分については運転日報という証拠書類がないことを会計担当の菊井に供述させている。秋村組の架空売上を認めた部分も証拠は同じである。これが検察側の売上勘定の証拠の方式で正当な方法である。
二、しかし控訴審判決は秋村組の架空売上について、秋村田津夫の検察官に対する供述調書のみを引用し、
(1)昭和五十六年二月請求の二〇〇〇万円
(2)昭和五七年三月請求分(本事件年度外)
の二つを架空売上と認め、同時にそれ以外架空売上はないことを右秋村田津夫の供述だけで認定している。
しかし右認定は供述のみで具体性も証拠もなく前記若築建設の架空売上のように売上元帳と請求台帳との不突合があり不突合の部分には運転日報という証拠書類がないという証拠による認定方法を無視している。
三、弁護人はこのため前回提出の上告趣意書で売上元帳、請求台帳を比較して架空売上を計上し、その具体的な日時金額に該当する部分には証拠となる運転日報が全押収書類の中にないことを具体的な帳簿の記載による証拠で説明しているのである。
平成五年六月一四日
弁護人 家藤信正
同 木村靖
同 浜田博
最高裁判所第二小法廷 御中
上告趣意書
事件名 所得税法違反、法人税法違反被告事件
事件番号 平成四年(あ)第七四二号
被告人 安千一
右の者に対する頭書被告事件の上告趣意は次のとおりである。
一九九二年一〇月一九日 弁護人 家藤信正
弁護人 木村靖
弁護人 浜田博
最高裁判所第二小法廷 御中
第一点
原審における、弁護人主張の売上勘定中に架空売上が存在すること、及び青木 茂に支払った賃料が経費として計上されていないとの主張は原判決では認められていないので次に主張するように判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものである。
第一
(一)犯則年度の架空売上は被告人の砂利等販売先に当たる特に「秋村組」において発生している。それを示せば別表(一)のとおりである。
原審は証憑書類の何ら裏付けのない販売先の搜査中の供述種類を根拠に架空売上を否定している。
弁護人の主張は「実際取引は証憑書類があるのに架空取引は証憑書類がない」という主張をしてきたが、それに対する判断が判決にはみられない。
会計実務ではどの取引でも領収書などの証憑書類に基づいて日時、科目、金額を仕訳伝票に記帳する。
弁護人は架空売上の発生源となった水増し取引を「桂甚」・「大中組」では特定し、秋村組では返金取引の時に特定しており、その中の実際取引には運転日報があるが、架空取引には運転日報がないから、検察側も架空取引でないのなら運転日報を一枚でも証拠として提出するよう主張したが、それに応じていない。原判決はこのような合理的な証明方法には、なんらの判断をすることなくこれを避けている。このため架空売上の発生源となった水増し取引との関連及び秋村組の返金取引は特定しているのであるから、弁護人の弁第三号証及び弁第四号証の反証として、検察側は一枚の運転日報でも押収目録から提出すれば足りるのに、これをせず、判決もこの点につき何も言及していない。
これは証憑書類に基づく仕訳記帳という原判決は無視している。
その理由は架空取引には運転日報がないから提出できないのである。
この日報は日計伝票として日付順に編綴された伝票を押収されたもので、もし存在すれば提出は容易なものである。
補強として押収書類から選出した弁第三号証の帳簿のメモ、メモ用紙の記載、手帳の記載について第一審判決はこれを証拠評価の中心として詳しく検討されているが、弁護人としてはこの記載は事前に搜査を予想して記載されたものではなく、むしろ後日現金をバックする重大な約束のために返すべき金額を記載したもので、補強証拠として極めて信憑性の高い記載である。
そこで、国税局が売上額を認定した帳簿自体に架空売上の証拠が存在することが明白なので弁護人としては次のとおり別表(一)の第一添付書類を添えて、各項目毎に説明する。
(二)第一添付書類は第一審記録二六冊中の五(五〇八丁及至六七九丁)の書類で弁丙四号証の請求台帳と工事台帳からなっている。「秋村組」の取引では真実の工事台帳は砂利等を運んだ車両番号・数量・日時が運転日報に基づいて記載されているのに対し、請求台帳では架空分を上乗せして請求している。この架空分には運転日報等何らの証憑がないことを、以下説明する。
第二 秋村組の架空売上
(第一添付書類の青色クチ取は請求台帳で赤色クチ取は工事台帳である。)
(一)昭和五四年五月二〇日 金一〇〇万円(城南)
(イ)第一添付書類赤色クチ取1は工事台帳で砂利販売地区として安土城南としている。品名欄には、仕入先・搬入先・車両番号・品名が記帳され、数量欄には台数・トン数・売上金額欄には、使用車両・使用日時、受入金額欄には車両の回送回数又は使用時間、差引残高欄は搬入現場名が記載され、これらは運転日報という証憑書類から記載される。
これを集計したのが、期間が五三年六月二八日から五三年七月一〇日までで 金額三、七一九、九九七円と記載され、取引先と協議してこれを三、六〇〇、〇〇〇円に決定した記載である。
(ロ)これに対し青色クチ取1の請求台帳では一頁最後に城南四、六〇〇、〇〇〇円と記載して請求されその差額一〇〇万円が架空売上であることを示している。
(二)五四年五月二〇日 金額一〇〇万円(佐波江)
同添付書類赤色クチ取2は記載方法は右と同じであるが五三年七月一二日から一一月三〇日の取引を集計して、金六、八二〇、三〇〇円と出していて、取引先と 金六、〇〇〇、〇〇〇円で決定している。(すべて「済」という欄で示されている。)
ところが前記請求台帳青色付箋1の二頁目の佐波江の請求金額は 金七、〇〇〇、〇〇〇円とされ、その差額一〇〇万円が架空売上である。
(三)五四年五月二〇日 金額一〇〇万円(鵜川)
同添付書類赤色クチ取3は五三年八月三〇日から五四年三月五日までの取引を集計したもので、この金額が 金七、五六三、三五〇円とされこれを取引先と 金七、五〇〇、〇〇〇円で決定した記帳がある。しかるに前記同請求台帳 鵜川では 金額八、五〇〇、〇〇〇円と請求され、その差額 金一〇〇万円が架空であるという記帳である。
(四)五四年五月二〇日 金八〇〇万円(野村)
同添付書類赤色クチ取4は五三年七月二五日から五四年四月七日までの取引を集計し 金二二、四四三、三八〇円と記帳し、取引先と 金一八、〇〇〇、〇〇〇円と決定しているが、前記同請求台帳には 金二六、〇〇〇、〇〇〇円と記帳し、 金八〇〇万円が架空である。
(五)五四年五月二〇日 金一〇〇万円(蓮花寺)
同添付書類赤色クチ取5は五三年一〇月一九日から同年一一月二四日までの取引を集計し、金一、八九六、〇〇〇円とし、これを取引先と 金一、八九〇、〇〇〇円と決定して記帳している。しかるに請求台帳金二、八九〇、〇〇〇円と記帳され 金一〇〇万円が架空である。
(六)の(一)五五年一月二〇日 金七〇〇万円(北里)
この金額については全く工事台帳がないのに(勿論運転日報なし)請求台帳のみなので全額が架空売上でありなんら売上の証憑のないものである。
(六)の(二)五五年三月二〇日 金五〇〇万円(北里)
これも右(六)の(一)と同一である。
(六)の(三)五五年一月二〇日、同三月二〇日、同六月二〇日(綾戸)架空なし
同添付書類赤色クチ取6は五四年九月二四日から五五年四月三〇日間での取引を集計し 金一九、七八三、〇一二円と記帳し、取引先と 金一七、四三一、五〇〇円と決定され請求台帳も同額で記載されている。このように架空のない取引の記帳として工事台帳が正確に一致している記帳である。
(七)五五年一月二〇日 金一五三万円(新畑)
同添付書類赤色クチ取7は五三年一一月三日から五四年一二月二六日までの取引を集計し 金一一、五四八、〇〇〇円と集計記帳し、取引先と 金八、四七〇、〇〇〇円「済」と決定しているが請求台帳の新畑では金一〇、〇〇〇、〇〇〇円を請求し、その差額が架空であることを示している。
(八)五五年一月二〇日、同六月二〇日(末広)架空なし
同添付書類赤色クチ取8は五四年五月一日より五四年九月二一日までの取引を集計して 金一四、五五九、七八〇円とし、これを 金一〇、五八三、二〇〇円と決定「済」としているがこれは架空もなく請求台帳では五五年一月二〇日に 金五〇〇万円、六月二〇日に 金五、五八三、二〇〇円請求している。
(九)五五年三月二〇日(橋本竜王)架空なし
同添付書類赤色クチ取9は前記同様工事台帳の記帳と請求台帳は一致している。
(一〇)の(一)五五年三月二〇日 金一〇〇〇万円(薬師)
これは工事台帳が全くなく請求台帳のみで全額架空の請求台帳の記帳である。
(一〇)の(二)五五年六月二〇日 金一〇〇〇万円(幹排)
同添付書類赤色クチ取10は五四年一〇月三〇日から五五年三月二八日分金五、五五五、〇〇〇円と、 金五八四、〇〇〇円と 金四一三、一三六円の合計 金六、五四七、一三六円を集計し、この金額をそのまま決定したのを記帳しているが請求では五五年六月二〇日に 金一六、五三〇、九四〇円を請求し差額金一〇〇〇万円が裏付けのない架空である。
(一一)五五年六月二〇日(幹排鵜川)架空なし
同添付書類赤色クチ取11は此の件は工事台帳も全同様の記帳で請求台帳もほぼ金額が一致していて架空のないものである。
(一二)五五年六月二〇日 金一〇〇万円(江頭八信)
同添付書類赤色クチ取12は五五年三月三日より五五年六月六日までの取引を集計し、 金一、三七九、六八二円と記帳し、取引先と 金一、四〇〇、〇〇〇円と決定しているのに請求台帳の請求金額の記帳は 金二、四〇〇、〇〇〇円とされ 金一〇〇万円が証憑のない架空であることを示している。
(一三)五五年六月二〇日(西生来)架空なし
同添付書類赤色クチ取13の工事台帳の記帳と請求台帳の記帳とが合致している。
(一四)五五年八月二〇日(八幡)架空なし
同添付書類赤色クチ取14の工事台帳の記帳と請求台帳の記帳とが合致している。
(一五)五六年一月二〇日、同五六年二月二〇日 金三六、四三五、〇〇〇円(小田工区)
同添付書類赤色クチ取15の工事台帳は五五年一〇月一三日から五六年五月一九日までを記帳し、これを小田 金三七、五六四、三〇六円、野村 金五、〇九四、五一七円、小田四工区残土 金九、一二二、二五〇円(合計五一、七八一、〇七三円)と記帳している。
これを取引先と「済」で 金四四、七六五、〇〇〇円と決定している記帳があり、運転日報に基づき摘要欄等に内容を詳しく記載している。
ところが、請求台帳では五六年一月二〇日に 金三四、〇〇〇、〇〇〇円(小田四工区 掘削)五六年二月二〇日 金五、二〇〇、〇〇〇円(北里三工区 盛土)同日一八、五〇〇、〇〇〇円(北里四工区 掘削)同日 金一五、七〇〇、〇〇〇円(北里五工区)同日 金七、八〇〇、〇〇〇円(北里八・一〇工区)(合計 金八一、二〇〇、〇〇〇円)の請求をなし、差額 金三六、四三五、〇〇〇円が証憑のない架空となっている。
(一六)(一七)(一八)(一九)(橋本、多賀、湖岸、円山)
右付表については工事台帳の記帳と請求台帳の記帳とは金額が合致している。
(一九)の(一)五六年一一月二〇日 金一〇、八〇〇、〇〇〇円(正沢)
請求台帳に記帳があるのに工事台帳には全く記載もない全額架空である。
(二〇)五六年一一月二〇日 金一五〇〇万円(西中)
同添付書類赤色クチ取20の工事台帳が続行中で計算未定であるのに請求が行われた態様の架空である。ちなみに五七年五月二〇日 金三〇、〇〇〇、〇〇〇円の請求がなされ架空が確定している。
(二一)五六年一二月二〇日 金一二八万円(出町)
同添付書類赤色クチ取21の工事台帳では五六年三月二四日から四月二三日までの取引を集計し 金一、三五七、四五八円と記帳し、取引先と 金一、八二〇、〇〇〇円「済」と確定した記帳がある。しかし請求台帳では 金三、一〇〇、〇〇〇円を請求している記帳があるので差額 金一二八万円が証憑のない架空である。
第三 青木 茂所有の土地・建物使用の対価として支払った実質賃料について原審は青木の所有権を否定し、当初から被告人の所有であったと判断した第一審の判決を是認しているが、これは明白に不動産の通常取引に必要な契約書、登記簿の記載、資金の出所などの証拠を無視した認定である。
(一)第一審弁第二四号証の四(第一審記録二三分冊六六一四丁)水田商事株式会社を売り主とし被告人及び青木茂を買い主とするマンモス城の土地建物(水口町東名坂)の売買契約書が存在し、原審の弁第五号証の一及至四の不動産登記簿にもこの売買に基づき搜査よりかなり以前の昭和五一年六月九日付で、右水田商事より買い主双方が持分二分の一の所有権取得の登記手続きがなされている。そして被告人及び青木茂の第一審の証言にも沿う乙区欄の資金調達を示す全国信用協同組合、朝鮮滋賀信用組合を抵当権とする買入代金の資金調達の記載も残っている。
(二)ニュークラウン(近江八幡市千僧供町六二二番地)土地建物の取得については不動産売買契約によらず、倒産した前所有者、竜王不動産株式会社の全株式を青木茂が取得し、会社の債務全額を引き受け、その対価として右不動産を取得する方法によっている。
これは原審弁第六号証の一、二の右竜王不動産の商業登記簿謄本により昭和四九年七月三〇日に前代表取締役諸川庄三から青木茂に変わって交替している。この青木経営の竜王不動産所有敷地のうち現況二〇パーセントが三洋ホンダ自動車販売が賃借りし、青木茂(京近建設株式会社)が五〇パーセント賃借りし、敷地の三〇パーセントを安千一が賃借りし、ニュークラウンを経営している。
この状況を示すのが検一五五号証の確認書でこれは青木が所有者として被告人から賃料を受け取っていた証拠である。(第三添付書類)。
更に検一五三号証ではニュークラウン敷地の固定資産税を右青木が支払っている。
原審は以上の不動産売買、株式全株取得と債務引き受けによる不動産の取得について法律的に必要な契約書の記載、公示制度、納税状況が明白なのに、原審は反対尋問を得ない青木の不自然で証拠の裏付けのない供述のみでこの所有と賃料を否定している。
(三)被告人が青木茂に前記二店舗の建物及び土地の利用の対価として支払った実質賃料額を示すのが第一審弁第一一号証(第一審記録二三分冊六四〇二)で取引銀行の元帳を添付し、これを集計して表紙にしたものであるが、これは日曜祭日を除き売上金を毎日預金し、この預金から現場経費、給料を支払った額の毎月末残高を国本武が計算し、国本が被告人宅で自分の報酬を差し引き、残額の「安千一手渡額」を渡し、その半分をその場にいる青木に渡すか青木の家に持参した金額である。
この記帳は日々の売上に基づいた具体的で正確な数額である(第二添付書類)。
第四 以上によると架空売上としては別表(一)の如く各年度合計 金一一〇、〇四五、〇〇〇円があり、青木茂支払い分では別表(二)の如く各年度合計 金一七〇、〇〇〇、〇〇〇円となり、それに対する税額は各年度合計 金二一〇、〇三三、七〇〇円減額されるべきものである。この各年度の所得及び税額を算出したものが別表(三)である。
この数額の事実誤認は多額で、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認と考えられるので原判決を破棄し、相当な御裁判を賜りたく上告に及んだ次第である。
第二点
原判決は被告人に対し、懲役二年の実刑判決を言渡したが、この判決は刑事訴訟法第四一一条二号に該当し、刑の量定が甚だしく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものである。
そこで、原判決が刑の量定が著しく不当である理由を指摘する。
一、まず、原判決は「被告人において所得税を免れようと企て、ことさら収支に関する記帳を行わず」と判示している。確かに、被告人は収支を明らかにする帳簿を作成していなかったことは事実であるが原判決が判示するように「ことさら」記帳していなかったものではない。なぜなら、仮に「ことさら」収支に関する記帳を行わないようにする時は事前に真実の所得を不明とする「偽りその他の不正な行為」があることが前提となる。なぜなら「ことさら」記帳せず脱税をしようとすれば、その過少申告が真実であると税務当局を納得させる虚偽の帳簿や証拠書類を現実に揃えておいた上で「ことさら」収支に関する記帳をしないようにしておかなければ「ことさら」収支に関する記帳をしなかったことによる脱税行為が達せられないからである。
この点につき第一審判決は「被告人の帳簿類には隠匿、改ざん等が認められず、格別の所得秘匿行為はうかがわれない」と判示している。従って本件の場合はいつでも安易に被告人の真実の所得が明らかにできる帳簿類が隠匿や改ざん、破棄されることなく保管されていたものであるから、所得隠匿行為がなされていない過少申告事件である。即ち、被告人は「ことさら」収支に関する記帳をしなかったのではなく特に収支に関する記帳をする必要に迫られなかっただけで、収支に関する記帳をしていなかったことが即脱税目的につながらないケースなのである。
第一審判決は、このような面をとらえて格別の所得隠匿行為はないとして被告人に対し執行猶予を付する判決を行ったものである。ところが、原判決は右事実を全く考慮せず、被告人が当初より所得を免れようとして収支の記帳をしなかったとして被告人に実刑判決を言渡したもので刑の量定が甚だしく不当である。
二、次に、原判決は「遊技・飲食関係は妻の事業であるかのように仮装し」たことを被告人に対し、実刑判決を言渡す理由としている。しかしこの理由も刑の量定を甚だしく不当にするものである。
通常このような手口で脱税を行なう場合は、真実は脱税者がその経営、経理、利益の処分について実質的に実権を掌握し、自ら行っているのにあえて他人名義を不正に利用してあたかもこれを他人が行っているようにみせかけようとするものである。本件においては、風俗営業許可は妻の名義で受け、実質的な経営も李愚京と妻が行っていたもので、被告人は営業の経営、経理、利益処理については一切タッチせず指示すらあたえていない。ただ毎月末に収支の結果をきかされているだけである。従って、脱税のためにのみ他人名義を使用していた事案とは全く異なるものである。さらに、仮に、被告人が右営業を他人名義とすることにより所得分散をはかろうとするなら、妻以外の第三者の名義を利用するならともかく、妻名義では累進所得税率からして全く脱税の目的を達することはできないことになる。
このように本件の場合は遊技・飲食関係を妻の事業であるかのように仮装しても、悪質なものでなく、脱税の目的もはかれるものではないことからすると、原判決が右事実を実刑判決の一要因としたことは刑の量定を甚だしく不当にするものである。
三、第三に、原判決はほ脱所得額が極めて高額であることをもって被告人に実刑判決を言渡す理由としている。しかし、原判決には先に述べたように、架空売上及び賃料勘定についての重大な事実誤認の上にたって被告人に対し実刑判決を言渡したもので、刑の量定が甚だしく不当といわざるを得ない。
即ち、被告人の昭和五四~六年度の三年分の所得は九億三一三万一、〇〇〇円であり、ほ脱税額は六億三、三二六万、六二〇〇円となる。
よって、原判決は刑の量定に甚だしい不当があるといわざるを得ない。
四、第四に、原判決は第一審判決が在日朝鮮人に対する徴税の過去の経緯やその特殊性のほか、本件公訴にいたる経緯には被告人が大阪国税局と交渉する機会が与えられなかったことなどの事情を被告人の刑事責任を軽減すべき事情としたことに対し、「たとえ納税申告を貯蓄組合に代行させるにせよ、被告人ほどの高額の所得があれば税理士等に依頼するなどして正確な記帳を行い、適正な額を組合に知らせるなどして納税申告すべきであって、これが難きを強うるものとは思われない。また、こうして、すでに発生した高額のほ脱に関する刑事専任の程度が、所轄国税局との交渉の機会をもつかどうかで特段に動かされるものとはいえない」と判示している。即ち、原判決は在日朝鮮人に対する徴税の実態や経緯は被告人に対し、懲役刑の執行を猶予する理由とはならないと判示している。しかし、原判決はこの点についての第一審判決の理由をくつがえす納得のいく判断を示しておらず結果として刑の量定が甚だしく不当であるといわざるを得ない。
なぜなら、本件は他の脱税事犯と異なり、彦根税務署管内の在日朝鮮人の申告・納税について彦根税務署と貯蓄組合との話し合いにより長年行ってきたという慣行があり、この過去の経緯や特殊事情を無視して被告人の情状の善悪を決定できないからである。
即ち、彦根税務署管内の在日朝鮮人の申告納税については昭和二二、二三年ころから税務署の指導により彦根納税貯蓄協同組合が創立され、税務署の指導に基づいて組合長であった姜洪植が納税者と話し合って税務署に納税を行ってきたのである。彦根税務署管内でこのような方法がとられたのは、税務署員が直接徴収に行くと在日朝鮮人の納税者との間にトラブルが生ずる恐れがあったところから、貯蓄協同組合を作り、責任者である姜とその年度に納税すべき税額を話し合い、一括して納税させ、税務行政を円満に行なおうとの考えからであった。そして、昭和二五年に申告納税制度になってからも、税務署より姜に彦根税務署管内の在日朝鮮人の申告納税用紙正副一〇〇枚位が送付され、姜はその年度に納税すべき税額を税務署と話し合ったのち、管内の関係在日朝鮮人に日時を決めて集まってもらいそれぞれ相談の上、申告、納税をしてきたのである。彦根税務署管内にはこのような申告納税の経緯や特殊事情があるなかで、被告人も昭和三〇年頃から姜を責任者とする貯蓄組合を通じてその指導と助言によって、申告、納税をするようになったのである。このような方法による申告・納税により、彦根税務署管内の在日朝鮮人は、本件の摘発がなされるまで、特に彦根税務署との間に問題を生ずることもなく、申告・納税してきたものである。被告人においても従前と同様に姜の助言と指導により、姜を信じて申告・納税(検甲第四号証の作成税理欄に在日朝鮮人彦根と押印があることを指摘しておく)してきたもので、本件の摘発を受けるまでは、特に、彦根税務署から納税についての直接の指導や修正申告の注意もなかったのである。これが彦根納税貯蓄協同組合の実体であり、彦根税務署との申告・納税の運営状況なのである。
ところが、原判決は在日朝鮮人に対する徴税の実態や経緯などを考慮するにしても、それには自ずと限度があるとし、被告人は適正な納税申告をすべきであり、これが難きを強うるものとは思われないと判示している。
しかし、被告人は本件過少申告の査察までは姜の指導のもと姜より帳簿類の提示等を要求されることなく、前年度の申告内容、同業者の所得等をもとに姜と相談のうえ申告書を作成し、税務署に他の者と一括して姜より申告してもらっていたのである。一方、彦根税務署もこのような納税方法について慣行として容認し、組合長である姜や、個別に管内納税者に対して直接に格別の指導や修正を申告等の注意をすることもなかったのである。
従って、所得が多くなったとはいえ、被告人一人だけが右のような慣行化された納税方法を突如とらないで申告するなどということは難きを強うることであるといわざるを得ない。第一審判決は被告人の情状に関し、右事情を「このような在日朝鮮人に対する徴税の過去の経緯とその特殊性に鑑みると、責任のすべてを被告人一人に問うことはいささか酷であると考えられる」として、被告人に懲役刑の執行を猶予するための大変重要な情状として正確に認定している。
よって、原判決は右の点からしても刑の量定が甚だしく不当といわざるを得ない。
五、結論として、原判決は以上に述べたとおり被告人に対する刑の量定が甚だしく不当であって、これを破棄しなければ著しく正義に反するものである。
別表(一) 架空売上分
別表(二) 青木茂支払分
別表(三) 所得金額・申告税額減額一覧表
別表(三)付属1 昭和54年度
別表(三)付属2 昭和55年度
別表(三)付属3 昭和56年度